どんな治療を選ぶか
これまで述べてきた様に、日本の場合、国民皆保険制度の恩恵もあり、自動的に「投薬、手術を用いるメディカル・治療=医療」と受け入れられてきました。
よって、「医療の常識」=「投薬、手術」こそが科学的であって、それ以外は非科学的であるという考え方が根付いています。
一方で、「投薬」「手術」以外の選択肢に乏しいのも事実です。
これが、米国あたりになると、「投薬で治癒を実現するか、投薬では治癒の可能性は見込めないから手術で治癒を実現するか、また根本的に投薬も手術も身体的な負担が大きいから、それ以外の自然治癒で治すか」ということになります。
投薬のメリット
:即効性(発熱、痛み、炎症)=投薬によって科学的に症状が消える又は抑制することが確認されている
投薬のデメリット
:症状と根本原因が別の場合、そもそも解決しない。また、即効性が高いため身体負担が高い

即効性が高いため「薬によって治癒した」という解釈をされやすいですが、逆に投薬で症状があまり変わらないという場合においては、根本的に有効な選択肢ではない可能性が高いです。
例:腰が痛い→投薬治療を行う→あまり痛みが取れない
日本の問題点は、メディカルドクター(日本の場合医師)のトップダウン制になっており、全ては「医師の指示」によって治療を行うのが原則です。ですから、法的な整備がなされておらず、メディカルドクター以外には診断権を持たせていないのです。
どこか、日本の政治と被る部分もありますが、国民が他の選択肢を持ち合わせていない、一強医療というのが日本の現状です。
確かに、日本の医療は質が高いものですが、一方で問題点も多く存在します。
誤診や医療過誤

先に述べた通り、日本の場合、人の体を診断する権限がメディカルドクターにのみ与えられています。これによって、皆同じ方向性からの診断や治療手段を用います。
仮に、いわゆる医療ミスが発生し、司法手続きによって裁判を行うとします。そこで、診断や治療に問題はなかったのかどうか、という判断はどの様に行うと思いますか?
そうです、日本の場合、人間に対する診断権は法的に「メディカルドクター」しか有していないのです。
日本の政治に例えると、自民党の中で発生した不祥事について、自民党の議員が証言台に立ち「これはおかしい」とか「手順に間違いない」と発言できるわけです。
よって、同じ仲間に不利になるようなスタンスは持ち合わせていません。明日は我が身ですからね。医療訴訟問題は簡単に有罪にすることができないのです。
無頓着

メディカル治療を批判する気は毛頭ありませんが、こちらで詳しく列記していますが、メディカル治療には時代を経て歴史的な思想が存在します。
その結果、投薬と外科的処置に寄せるのが最善の選択肢という答えになります。
これを私は「メディカル方程式」と勝手に呼んでいますが、中には異端の医師で「薬は使うな」という方々もおります。
例えば、一昔前まで血圧は140を超えると、投薬によって下げるべきだという風潮がありましたが、昨今ではこの基準がどんどんと動いています。
異端な医師の書籍によれば、血圧を投薬で降圧させると、逆に血管系の疾患リスクが増えると訴える方もおります。
つまり、投薬に頼りすぎた結果、飲んでも飲まなくても賛否、大きく変わらない事まで「病院で飲むように言われたから」と自動的に受け入れているのが今の日本国民の実態です。
これの何が問題かと言いますと、自分の選択工程を経ていないことです。
全ては、国民皆保険制度によって、自分が自分の体の健康に対して、無頓着になってしまった。
その結果「はっきりとした意見を持たない国民は、なんとなくメディカル医療主義に貢献している」という構図が完成してしまったわけです。
余談ですが、私は可能な限り自動車の車検は自分で通します。修理や交換パーツも、リフトなどの特殊な設備がなければ出来ないもの以外は自分で行います。
確かに、プロにお任せした方が・・・という意見が多数なのですが、自分が自動車の交換修理作業の工程を知っている状態で人にお任せするのと、全く知らないでお願いするのでは、大きな差があると思います。
実例を挙げると、昔に、外国車を頂いた時に「自動車整備記録」がご丁寧に全て残されていました。
車検の時に、交換が必要な部品は交換し、まだ持つものはそのまま車検に出します。しかし、この中間に位置するものも当然あります。
例えば、ブレーキパッドが残り6mmを下回ると、次の車検までは持たないなという場合があったとします。では、実寸8mm残っていた場合はどうでしょう?
そうなんです。交換せずに持ちそうでも「念の為に新品に交換」してしまうのです。そして、自動車の持ち主にはこう説明します。「ブレーキパッドがかなり減って来ていますので交換します」と。
この持ち主は、車について全く知らない人であった為、なんでもすぐに交換されてしまっていたのです。
一方で、自分で日頃交換したり、管理している人であれば、ブレーキパッドについてこう答えると思います「これまで2年で2mm程度しか走行消費しないから、そのままにしておいてくれ。たまに覗いて消費が激しければ、自分で交換するか、また依頼する。」と。
どちらが正しいというものではありませんが、人によっては9mmで「減っているから交換」という商売方法もあれば、10mmで少し測り方を減っている方に寄せて「まだギリギリ大丈夫ですが、交換しておいた方が安心です」となるケースもあります。
自動車の場合、パーツ交換すれば済む話ですが、これが人間の体であった場合どうでしょうか?
無害ならまだしも、投薬というのは作用があるからこそ、科学的に認められた治療なのです。つまり作用には反作用が付随します。これも、法的に責任を回避するために「処方の際に薬剤師から副作用(反作用)の説明書き」が渡されていますが、誰も医師や薬剤師から「飲んでも飲まなくてもまだ大丈夫」なんて言われて処方されないでしょう。
もしも日本の窓口負担割合が9割だったとしたら、患者さんも賢くなり、「飲むメリットが感じられないので要りません」という人も出てくるはずですし、打撲で「レントゲンは不要です、日に日に晴れが酷くなったら撮ってください」という患者さんも出てきます。
それが「自分の健康を自分事にする」本来の姿のはずですが、日本の医療は念の為の治療に、国民がお金を負担しあい、財政を浪費している側面もあるわけです。
勿論、その投薬が命を維持する場合もありますが、「今の自分に必要な薬かどうかを判断する」という能力を持ち合わせていないというのは、日本の皆保険制度の弊害そのものです。
病気以外には弱い

メディカルドクターは、投薬と手術を用いる治療主義です。これは、特定の病気を診断して、それに対して有効な投薬と外科的手術を用いて治癒を実現します。
しかし、病気ではない症状には、投薬も手術も有効打にはなりません。
当たり前のことですが、メディカルドクターは病気か病気じゃないかで治療の線引きがされます。
例を挙げると、腰痛症や肩こり症などと言った、○◯病でないものについては、症候群ですから病気の治療とは異なります。
言い換えると、病気ではないが、健康でもない。病気の手前までについては医師の仕事の範疇外です。当方の持つ特許装置が良い例です。
この特許装置は、将来病気になるリスク箇所を、神経機能を分析することで、事前に知ることができるものです(米国医師会でも論文あり)。しかし、病気ではない将来のリスク箇所を見つけたところで、医師の仕事ではないということで、いまだに世の中に普及しません。
