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日本以外の常識その2

目次

医療の成り立ち

前回述べた通り、日本ではいわゆるメディカル・ドクターによる、投薬主義、手術主義の治療が「医療」となっています。

また、近代西洋医学と呼ばれる様に、特に科学技術とタイアップして、ここ半世紀で急激に成長したのが医療です。

例えば、今は普通に使用しているレントゲンなんかも、1900年代からの発達です(1895年にヴィルヘルム・コーラント・レントゲンにより発明)。まだ発見されて100年ちょっとなんですよね。

さて、こういった近年の科学技術が全く発達していなかった時代の医療ってどういうものだったかご存知ですか?

遡れば、古代ギリシャ。一言でいうと、経験的知識の蓄積で医療を行っていたんです。例えば、古代では同じ症状の人を見聞きしたら、どうしたらそれが治ったのか、どの様な経過を辿ったのかという事を、「教えなくてはならない」と義務化されたいた時代もありました。つまり、現在の様に、数学的な計算方法を持ち合わせていなかったので、教科書で教わるというよりも、師匠の下で医術を教わるという感じだったのです。

歴史を遡ってみても、もともと医術は宗教と共存していました。今では笑われてしまうでしょうが、当時、病気は身体に悪魔が入り込んだと思われていた時代もあれば、日頃の行いの報いだから懺悔し、祈って病を治そうとしたり、原住民族なんかは現代でもそういう感じです。

西洋医学の神様として知られているヒポクラテス(紀元前400年頃)ですが、実は、これは都合よく現代の医療発祥の象徴とされていますよね。

しかし実際には、絵などでも残っていますが、彼は脊柱や骨格を引っ張ったり、手技によっても医術を施しています。これは現在でいう、カイロプラクティックとオステオパシーに該当します。

このことから、我々カイロプラクター側にとっては「確かに外科治療の父ではあっても、手技治療の父でもある」と考えられています。

それが何故か日本では、投薬や手術治療は医療で、手技治療は医療ではないという風潮に・・・。

ヒポクラテスから、めっちゃ時代をハイスピードに現代に巻き戻します(生きた奴隷を解剖する等、医学の経過は色々あるんですが)。特記すべきは科学がまだ未発達だった頃のメディカル治療は何を行っていたのかという部分です。

1800年代では、「瀉血(しゃけつ)医療(ランセットという今でいうメスの様なもの)」で、悪いところを切って、わざと出血させることで「悪血」を排出し、この切り口が治ると、一緒に病も治るという手法を使っていました(現在でもお灸の吸引は同じ発想です)。

嘘の様な本当の医療の歴史です。

ちなみに、かの有名なアメリカの初代大統領のジョージ・ワシントンが、この瀉血治療を繰り返したことで、失血死したという説が、当時の治療記録から推測されています。大国の大統領がです。今では勿論医療ミスに該当しますが、当時の最先端は、いつの時代も未来では常識の座から陥落するものです。

ということはですよ?常に発展すること前提で言えば、今の医療の姿も永続的ではないということにもなりますよね。未来では「え〜!昔はそんなことやってたの?」と、ワシントン大統領の様に言われてしまうかも知れないのです。

重要な分岐点

1800年代の医療は、日本では長崎の出島に黒船が到来して、オランダ医学(西洋医学)が入り込みました。これによって日本では西洋医学が普及し、現代医療の流れを作ったと思われます。そこで登場したのが製薬技術。これによって化学としての治療を展開して行くのです。

ところが、この時点で、手技によって治すという発想は衰退します。何故ならば、科学=学術の発展ですから、手技の様に「同じことをやっても人によって効果が違う」という差異を毛嫌いしたわけです。

そして、自然治癒という人それぞれの時間経過で起こる個体差が好まれませんでした。

これによって、古代ギリシャから共存してきた医療は、手技を手放すことになります。

先ほど、医療は昔には宗教と共存してきたと述べました。例えば、外科的な処置は神官の仕事であったりしたわけです(エジプトのミイラ作りで内臓を取り出すのも神官の仕事)。しかしながら現代では、理系の人が医師になるように、理化学主義が西洋医学の流れとなったわけです。

古代から現代に渡って医療が切り離したもの

・宗教治療

・手技治療

確かに、科学の世界では不必要とされがちですが、実は現在の医療で不足しているんじゃないか?と指摘される部分でもあります。

例えば、宗教治療ですが、これは祈って治るとは言いません。しかし肉体以外にも人間は、時に精神起因によって、体の不調を引き起こすことがあります。昔の医師は、例え風邪一つでも、真正面から向き合って患者さんと会話をして、体に触り(最初から結論は出ていても)、視診、触診を行いました。しかし現在では、患者さんよりもPCモニターに向き合う方がはるかに時間が長くなりました。

つまり、科学を主体としたことで、患者さんの「気持ち」や「安心感」といった、数値によって表せない部分の優先順位を下げ、人と人との触れ合いが減少してしまったのです。

例えば、患者さんが職場の悩みで胃潰瘍になって来院したとします。薬を処方して、「少しゆっくり体を休めてください」と医師からアドバイスがあったとします。

確かに、職務である投薬によって、胃酸の分泌は抑制されるかもしれません。しかし、ストレスを緩和する方法や、胃潰瘍になる要因を改めるアドバイスは持ち合わせていません。もしも信仰している宗教があったとしたら、ストレスになる考え方や、精神反応を改めることができるかも知れません。

これは、ちょっと難しい内容かも知れませんが、自分と他人という2つしか持ち合わせない思考は、答えを求める「数学的思考」でもあります。実はこれがストレス障害になる原因に繋がることが。

例えば、「雨が降っている→濡れるから嫌だ」と想像するのがストレスです。しかし、「雨が降っている→降り続けるか降り続けないかは結局誰にもわからない→意外と濡れないかも知れない」と考えるとどうでしょう?

ストレスの受ける度合いが全く変わってきませんか?これは人対人でも同じことで、実は宗教では後者の文法が多用されているのです。

私はこれが宗教の最も有意な点と感じます(当方、無信仰)。

目に見えない何かが、「自分」VS「ストレス源」の間に入り込むことで、精神を脅かす出来事から守られることもある。こういう部分では、宗教はとても理にかなった観点を持っているものです。

実際に、ストレスは「過去」か「未来」の記憶や想像から生成されるものが殆どです。今のストレスというのは、時間が経てば今ではなくなる今ではない=過去か未来ということです。

つまり、実態が無い脳内思考でストレスを受けているというのが大半であるため、特に未来の想像については、雨降りと同じで、誰でも「そうなるかも知れないし、ならなかも知れないし」というレベルのものです。

もしも自分が「絶対にそうなる」と思っているとしたら、それは、占い師かトレーダーに転職された方が適職というものです。やってみたら分かります。その想像、精々2割も当たりません。それどころか、この2割を「ほら、やっぱり!」と受け取る。自分の中に自分で敵を作るといった思考。

言い換えると、想像のおけるストレスは8割引が妥当なんじゃないか?というくらい。

それどころか、ストレス源が好転に活用される可能性もあります。

雨が途中で酷くなって、近くのお店に入ったら、偶然知り合いと会って、それが原因で仕事の依頼が舞い込むことだってあるかも知れません。

つまり、悪いことも良いことも、中間のことも、未来のことで一つも確定されている事象は今現在何も無いのです。

ですから何回も繰り返します。ストレス源は勝手に決めつけた想像空間に存在しているのです。そして同じだけ良い「妄想」も存在します。

さて、では意地悪な質問ですが、投薬で胃潰瘍は治りますか?この答えは、人それぞれの想像にお任せしますね。またまた長いので次に続く

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