整体について/GEN流院

整体の原理


 整体といえば、筋肉を揉んで整えたり、骨格のズレを正すというのが一般的です。また、整体は非科学的あるという見解も多くありますが、それは単に、その整体師が科学的な軸足を持っていないからであって、私の考え方では科学的にも、非科学的にも、またはそのミックスにでも、如何様にもできるのが整体です。原理・原則の前に、個々の持った哲学を理解するのが先決だと思います。

治るのか?

 このご質問は、最も多い質問の一つです。これを答える前に、先にご説明しておかなくてはならないことは「整体は医療ではない」ということについてです。
 医療とは、国家資格によって括られた枠組みにおいて、治療の仕事に直接関わることです。我が国は1961年以降、国民皆保険制度の為、医療の現場における治療は、科学的な根拠を基に、誰でも同じように行えば、同じような結果が出る「再現性」が担保されたもので構成されています。ですから、現在の治療と呼ばれるものは、薬理に委ねる場面がとても多くなっています。薬は多くの治験を基に、効果を徹底的に実証したものですから、診断を間違わなければ誰でも一定の効果はみられるものです。
 では、整体はどの様な括りなのかというと、こういった国家が定める資格はありません。ですから、治療でも医療でもないのです。「それでは効果はないのでは?」という答えにたどり着きますが、ある部分だけで比較をすれば、その答えは正解です

・整体は医療ではない
・整体は日本の国家資格による枠組みがない
・医療とは誰にでも科学的再現性が可能なもの

主役の違い

 歴史をみれば、日本の「整体(整體)」の先駆者は、大正時代にかけ、米国のカイロプラクティック、オステオパシーの流れを汲んでいます(厳密には催眠や霊術等も含みました)。そして現代の米国においては、カイロプラクティック、オステオパシーとも、ドクター免許の称号を基に、国家で法制化された正統なヘルスケアです(いわゆる先進国でこれらを認めていないのは日本のみ
 何故これらが日本では医療の部類ではないのか?と思われますが、我が国でこれを認めてしまったら、国民皆保険制度では絶対的に予算が不足して賄いきれません。そもそも、カイロプラクティックやオステオパシーというのは何なのか?という部分についてご説明します。カイロプラクティックは脊柱調整を中心として、体の神経機能を整えるのが仕事です。一方でオステオパシーは、脊柱のみならず、内臓や頭蓋を含めた循環、及び筋肉の情報伝達異常に重きを置きます。では、カイロプラクティックは内臓や頭蓋を扱わないのか?といえば、そうではありません。特定のテクニックにおいて、むしろそちらを重視するものもあります。そしてオステオパシーもそれは同じです。脊柱調整も行いますし、背骨をしっかりと重要視しています。結局どちらも体の機能をどの視点から着目するかです。統一した点は、どちらも薬や外科以外の手による治療であるということと、比較的カイロプラクティックの方がプロトコル化されたテクニックに執着するところです。ちなみに、私は厳密にはカイロプラクティックとオステオパシーを主にして施術を行いますが、整体と名乗ることが業界ではめっぽう嫌われます(後の項目で何故整体という名前を使用しているのか述べています)。
 さて、本題ですが、これらが何故医療や治療ではないと私が述べているのかというと、カイロプラクティックもオステオパシーも、人が治る治癒過程を重要視しており、体内の生体恒常性及び動的平衡作用(一定の健康状態へ戻る働き)に治癒の主役を委ねています。一方で、日本で行う医療や治療は、先に述べた通り、誰でも同じ再現性を得るために、体内に薬を入れたり、外科の処置によって積極的に「人が人を治す」ことをします。ですから、カイロプラクティックやオステオパシー(又は整体)は、人の全体性に着目し、病院で行う医療や治療は症状のある部位を扱うことから、我が国においての定義では、医療や治療とは別という理屈になるわけです。

行うことの目的が全く違う

 日本の医学は近代西洋医学で構成されており、再現性を重視して、人の治癒に介入して「治す」ことをします。一方で整体は、アメリカのカイロプラクティックやオステオパシーの流れを汲んでおり、治癒には直接介入せず、「体が健康に戻ろうとする働き(生体恒常性及び動的平衡)」を整え、症状が出る前の自分が保てていた体へ戻す機能に着目します。その結果として、症状を治癒へと導きます。扱う視点も医療は限局的である一方で(対処療法)、カイロプラクティックやオステオパシー(又は整体)は全体性を注視します。

部分と全体の差

 医療はつまり、痛みのある部位や、異常数値が出た場合に対して、不足を補ったり、援護する治療を行います。例えば、発熱をすれば、その発熱の理由を見つけ、それに合う処方箋を出したり、解熱をしたりします。一方でカイロプラクティックやオステオパシー(又は整体)は、この発熱を特別に注視しません。発熱から治癒までの過程を尊重し、それが早くスムーズに解決できるように、内臓や頭蓋、筋骨格系を整えて、リンパの流れや滞った循環を促進させます。結果として、治癒過程を促し、自らの体中で解決できることを尊重するわけです。
 即効性は、医療が行う薬の処方の方が圧倒的に速いといえます。我々の整体は、先に述べた通りで、治癒過程をスムーズに促せる様に全身を整える仕事が主です(体が元の健康状態へ戻ろうとする機能を促進させます)。しかし、仮に発熱であったとしても、整体を行うことで、やらないよりも圧倒的に速くは症状が解決して行く事が殆どです。ですから、その場で直ぐに効果が現れる例は、比率的には限られています。それは、生体恒常性によって解決をするには、自然の工程(時間)が必要だからです。症状にもよりますが、2~3日後が最も症状の変化が感じられる時です。

結論

 整体に効果があるのか?という答えは、一般的医療に慣れた方々からすると、効果がないと感じられる傾向にあります。それは、薬の様な症状を打ち消す作用の治療ではありませんので、即効性の観点からそう思われてしまいます。しかしながら、時間の経過を辿れば、整体でも必ず結果が出てきます。この時間の差を考慮せず、同列的に評価してしまうから効果が「ある」「ない」の議論になってしまうのです。

 

 整体によって、生体恒常性(元の健康状態に戻ろうとする働き)が改善したことを、実際にどの様に確認できるのか?科学的に説明したページはこちらの科学的かどうかで述べています。

背骨や骨格のズレついて

一体何がズレているのかという大事なところが明確ではない

 「骨盤がズレているから腰痛になる」「ストレートネックだから肩こりや頭痛になる」という様々な商売ベースの見出しを目にすることがあります。これは本当の事なのでしょうか?骨盤だけ一つをとっても、ネットで調べてみると、複数の症状の根本的な原因にされているのが多いようです。あるところでは「肥満体質を骨盤で改善する」とか、またあるところでは「放置しておけば椎間板ヘルニアやぎっくり腰になる」などと記されています。
 ならば逆に「正常な骨盤」とはどの様な状態にあることを示すのか、まずそこから先に定義をしなくては、同じく「異常」の定義も分からないというのが世の常ではありませんか?この様に、単に「ズレている」という、極めてあいまいな表現に踊らされてしまうと、物事の本質を見失う恐れがあります

 

見た目のズレ

 ご自身で骨盤がズレていると仰るかたへ「では、骨盤がズレていると仰るのはどの様な状態を指しているのか?」と私の方から問うてみると、主な答えは次の通りです。「右と左の高さが違う」「腰のくびれが左右で違う」「寝た時の左右の高さが違う」などなど。では、その次に「この状態は異常だと思いますか?」と聞いてみると「腰が痛いからまっすぐにしたい」とか「見た目が違うから異常だ」と答えられます。どれも正解ではありますが、どれも間違えでもあります。何故かといえば「もとから左右が違うのが正常な状態の人もいるから」です。
 実際に人の体を解剖し、骨や関節を露出してみると、まず左右対称の形(見た目)の人はおりません。そして関節も同じく、大きさから角度までが左右でそれぞれで違います。つまり、本来生まれ持った体そのものが左右で違う動きをし、見た目も左右が違う人が大多数なのです。ですから、自覚症状として腰痛があるからという理由で「骨盤が見た目で左右が違うからそのせいだ」と、原因をそれに抱き合わせるのは、自己満足という部分では良いことかも知れませんが、その「見た目」が原因ではないことは多々あります。よって、骨盤の見た目のズレが、必ずしも腰痛や太り体質と関連しているとは限らないということです。

殆ど全ての人間は、左右で違う関節の形状を呈しており、元から見た目のズレを追求したところで意味はない。更に言えば、左右を強制的に揃えることは、健康状態を損なう恐れもある。

 

動きのズレ

 では、見た目のズレが「ズレ」ではないとしたならば、本当の「ズレ」とは何か?そして、どの様にして検査をすればわかるのでしょう?レントゲンを撮っても結局は見た目を重視してしまいますし、本来の生まれながらの見た目のズレがどの程度なものかも不明です。そこで役立つのが「動き方を観察する」という方法です。最初にも記しましたが、ズレという定義の本質は、正常な状態からどれだけ逸脱しているかということです。では、正常というのはどういうものかというと、見た目ではない部分の「機能」が正常であるかどうかというところ。つまりこの場合、骨盤全体の機能を評価する必要があるわけです。
 骨盤は関節部分で可動するため、当然「関節の動き」が存在します。骨盤の構造は下図に示すように、仙骨と腸骨という骨が一塊にして「骨盤」と呼ばれています(厳密には股関節も重要)。この仙骨と腸骨で構成された関節を、名前の頭文字を取って「仙腸関節」と呼びます(図1.)。関節に機能異常が無い場合(ズレがない場合)、この関節は左右であらゆる方向に綺麗な動きが可能です。またそれとは逆に、機能に異常がある場合には(ズレがある場合)、関節本来の動きが消失し、いわゆる硬くなってしまう習性があるのです。つまり、ズレているとされるものは、見た目ではなく、関節の動きの消失=機能の異常として見つけ出すことができます。

図1. 骨盤の関節

関節は正常な状態では形状に関わらず、個別の関節そのものに動きの制限は存在しません。関節は厳密にはあらゆる方向に遊びを持っています(見た目では分かりずらい)。この遊びが消失している部位は、機能の異常があることを意味ます。

 

機能の評価

 これまでご説明してきた様に、関節は可動性を有しており、ここに機能異常がある場合、関節は可動性を失う性質があるというところまで述べました。それらの具体的な例を示して行きたいと思います。関節は全身の頭から手足までどこにでも存在しますが、分かりやすい様に、ここでは指の関節で機能異常をご説明して行きたいと思います。

 左の人差し指を使って行きます。関節は、基本的に個々の形状に合わせた可動範囲を有しますが、それ以外の方向にも少なからず可動域を持っています。指の場合だと、通常は曲げ伸ばしの関節運動になりますが、写真の様に、側方への可動性も有しています。まず、固定を作った上で、黒矢印の方向へ力を加えると、関節は赤矢印の様に開く動きを強いられます。正常であればこの動きは抵抗はなく行え、痛み等も発生しません。重要な部分は、この関節の可動範囲は、自分の力で動ける範囲からさらに外にあるという部分です。言い換えれば、写真の様に、他の力を加えない限り、自力での筋肉の動きでは動かせない範囲の運動を評価するということです(他動運動範囲という(図2.))。

 

図2. 関節の運動範囲

関節には自分の意図して動ける範囲と、他の力を借りなければ動かない範囲がある。機能異常がある関節はこの「他の力を借りなければ動かない範囲」の動きが消失する習性があります。
機能異常の原因

 ここまでで、関節には自分で日常的に動かせる範囲(自動運動範囲)と、その先に他の力を用いて動かせる範囲(他動運動範囲)があることをご説明しました。そしてこの機能異常がある関節には、他動運動範囲(他の力で動かせる範囲)の動きが消失する性質があることを述べました。では、この他動運動範囲が何故消失するのかをここではご説明をして行きたいと思います。
 全身にある骨と骨の関節には、全てに神経が分布します。これは、脳が体の位置感覚や関係を把握する上で、とても重要な働きをしている神経です。この神経機能が何かしらの形で鈍ってしまうと、関節の他動運動範囲が制限されてしまうのです。
 神経は、脳から脊髄を延ばし、この脊髄から背骨の部分でさらに両側に根を延ばして、筋肉や内臓に神経を張り巡らせています。つまり、筋肉は、脳→脊髄から更に枝分かれした神経によって支配されているのです。ですから、仮に上位であるこの「脊髄」や「脳」に異常が起これば、筋肉は動かすことが不可能になるわけです。ときより「筋肉の硬さが原因で不調を起こす」という治療院の宣伝文句を見かけることがありますが、これまでに述べた様に、筋肉の全ては神経によって支配されていることから、問題が生じているのは「筋肉が硬くなるから」ではなく、神経機能に異常があるから筋肉が硬くなるわけです(スポーツ選手など筋肉を酷使する場合には筋肉内に貯まる老廃物質が原因になることもあります)。よって、関節の他動運動範囲(他の力で動く範囲)が消失する理由は、神経機能の異常により、筋肉に持続的な収縮命令が出されることによって、結果的に関節が動かされずに固まってしまったからです。

 

 ここでは、客観的に神経機能が誰でも見えるように、当院にあるインサイトディスカバリー(米宇宙財団/NASA認証)にて計測した画像(図3.)をご紹介しておきます(科学的かどうかのページで詳細説明があります)。

図3.計測画像

 上の画像は、当院で使われている分析器にて計測したものです。神経機能が鈍っているということは、神経によって動かされている筋肉や内臓、または自律神経活動も同じく鈍っているということになります。画像の赤い棒線が出ているところは異常部分を表します。一体何をもとに測定されているのかというと、この計測器で、背骨の両側の皮膚表面温度を読み取っています。なぜ皮膚表面の温度なのかと思われるでしょう?実は皮膚の表面温度の管理は、神経によって毛細血管や毛穴の閉じたり開いたりをすることで一定状態を保っています。よって、神経機能が正常であれば、背骨の両側に温度差が現れることはありません。つまり、この赤く棒線で見える部分は、血管や毛穴のコントロールをする神経が鈍っている状態にあるということです。

関節の他動運動が消失するということは、関節の神経機能が異常を起こしていることを表す。同時にこの異常部位は、神経機能が異常であることから、皮膚の温度にも変化を及ぼす。

 下の画像(ネッター解剖学アトラス 南江堂抜粋に加筆)は(図4.)、背骨を上らから見た断面です。背骨の真ん中には脳から伸びた「脊髄」が格納されています。この脊髄は背骨の両脇から全身に神経を張り巡らせています(下の画像参照)。先に述べたように、筋肉(❷❸)、内臓(交感神経❶)、皮膚表面(❹)はこの神経活動によって支配されています。それぞれの背骨の分節で、連続的に同じ仕組みになっています。何故、皮膚表面温度が重要なのかというと、この神経の根本は同じ、すなわち皮膚表面の温度に異常がある場合、同じくして「筋肉」「内臓」にも神経機能の異常状態があると仮定ができるからです(皮膚表面温度と疾患との関連性が米国医師会及びジョンズ・ホプキンス大学にて論文発表がされています)。ですから、例えば筋肉への神経機能が異常状態にあると、筋肉は正常な引っ張り能力を逸脱し、それに付く骨が引っ張られたり伸びたりして、正常位置からズレとして検出できるわけです。
 この様に、単に関節の動きがおかしい、筋肉が硬いというのは表面的な現象に過ぎず、関節の他動動運動範囲に異常がある場合には、内臓や筋肉といった部分に神経機能異常があることを表しているのです。

 

図4.断面図上面から(ネッター解剖学アトラス南山堂より抜粋)

まとめ

 これまで、我々の手技療法は「効果がよくわからない」という社会的扱いをされることが多くありました。なぜその様に言われるのかと私なりに考えてみたところ、「背骨のズレ」という概念だけが一人歩きし、それらを治すと「病気が治る」とか「痛みが治る」とか、そういった印象を強く持たれている方が多いのが原因ではないかと思います。
 この誤解を解消するために、「背骨のズレ」とは一体何なのかという部分についてご説明をさせて頂きました。このズレのメカニズムは構造的なものではなく、正常な神経機能に戻すことが目的あり、そもそも医療とは少し違った部分にあるものです。
 例えば、病気や怪我をした場合、病院へ行って投薬や手術等の治療を受けます。しかし我々は直接的に患部への治療は行いません。何を行うのかと聞かれれば「どこに病気や怪我があっても、神経機能の異常を分析してそこを正しい状態にする」ということだけです。これによって、体が本能的に持った「恒常性(健康状態に戻ろうとする力)」を十分に発揮できる様にすることが目的なのです。
 私はかれこれ20年以上カイロプラクティックを職業としてきました。カイロプラクティックは、日本を除く先進国では、しっかりとした法的位置付けを持っています。特にアメリカでは診断権を医師と同等に有しており、日本における「民間医療」とは一線を画すものです。「病気ではないが、健康でもない状態」を扱う専門家であって、決して医師として患部に治療を行う仕事ではありません。ただ、体の神経機能の状態を整えることで、症状が改善されるものは沢山あります。更に深掘りしたい方は、他のページにある「本当は骨格のズレではない」をご覧ください。実のところ、体は精神や心理からの影響が強くあって、背骨がズレているかどうかという議論は、実はかなり浅い部分の話でしかありません。

業界の問題点

 これは単純に、「技量が様々である」というところに尽きます。先述しましたが、「整体」は法制化された職業ではありません。すなわち、国家資格がありませんから、資格を受ける条件でもある、認定校の必須教育単位もありません。ですから、技量の上と下が極めて激しいのが実情です。
 カイロプラティックやオステオパシーなどは、米国でしっかりと法制化されておりますので、教育カリキュラムを共有したり、協会ごとで認定試験を設け、レベルの基準を国際基準に引き上げているところもあります。しかしながら、あくまでも最低レベルの基準を満たしているかどうかが国家資格というものです。
 これについて私は、今後のIT化に伴い、客観的なデーターによって、施術が成し得たことを評価することが必要だと考えます。

私が整体を名乗る理由

 実のところ、私はカイロプラクティックからこの業界に入っていますので、全5年のカリキュラムを消化しています。その結果、カイロプラクティックの素晴らしいところや、オステオパシーの素晴らしいところは十分熟知しているつもりです。しかし当院は「整体院」という名前で行っています。この理由は、資格制度の考え方や、個別に区分けをする考え方に異論があるからです。
 例えば、施術の中で、筋肉を押したとします。これは我が国では「按摩」の仕事であって、厳密には、免許がない人がそれを行えば、あんま指圧法違反となります。最高裁判決によって、目的によっては違法にはならないとはなっていますが、つまり、資格や分野を作るということは、領域を侵されないように、職域を守る習性があるのです。
 この理屈からすれば、鍼灸の経絡を応用すれば、それは鍼灸師の分野だと主張され、カイロプラクティックの治療はカイロの線引き、オステオパシーはその職域を括らなくてはなりません。業界としては、色分けすることで職域を守られる一方で、受ける患者さん側としてはどうでしょうか?この分野の区分や垣根などはどうでも良いと思われるはずです。以上のことから、一番職域の枠が限局されていない、大正時代からの伝統的な曖昧さを持った「整体」を名乗っているのが私のオフィスです。

分野を別けることで混同してしまうのは消費者であって、職域を守る以外に呼び名の差は意味がありません。そして本来、人間の体は全体性からすれば区切ることなどできません。残念ではありますが、しっかりと教育を受けられていない人が参入してくる危険性は勿論あります。しかしながら、我が国の憲法においては、職業選択の自由が保障されています。ですから、もとから公共の福祉に反しない限りは、法に抵触しない事業には、当然のことながら違法性はありません。害があることは個別に司法の判断を受けるというのが現在の我が国のルールです。