肉体を整えるのではない

肉体と精神の境界探求

 最初から結論から述べておきます。以下、著者である私の予測の範囲を含みます。その上で、最初に結論を記しておきます。脳の中心部分にある脈絡叢の働きと、主にそこから生産させる脳脊髄液こそが、我々の精神機能の活動値を決めるのです。「背骨や骨格のズレについて」「本当は骨格のズレではない」のところで散々背骨や骨格のズレのメカニズムを説明してきました。しかし、実際のところ、人間は何故背骨をはじめとする骨格にズレを起こし、そして再び何故同じところにズレを起こしてしまうのか?という事象を追求して行くと、単に神経機能の問題であるという一言だけでは説明がつかなくなって行きます。ここでは、骨格の話から少し逸脱して行きますが、精神活動がどのように体に反映されるのかという、更なる深い部分の視野をご紹介して行きたいと思います。

 

まずは健康の定義から

 やはり大前提の定義から始めて行きたいと思います。この間、当院へお見えになられているアメリカ人の女性から「日本人は心から体が壊れてゆくところに注意をしない」とのご指摘がありました。確かに、まだ世界的に見れば「精神=健康」との直結一般的ですが、日本の中ではまだまだかも知れません。ということで、他の項目と被りますが「健康」という言葉の意味からご説明して行こうと思います。
 日本の一般的健康観はさておき、世界保健機関(WHO)では健康について肉体的 Health」「精神的 Mental」「社会的 Social well-being」「霊的 Spiritual」に満たされた状態」と提唱、及び議論がなされています。つまり、体が健康であっても、心が不安定で余裕がない、幸福感もない状態であっては「不健康」というわけです(精神的)。
 憲章前文にも以下のようなことが書かれています「人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。」と。 皆さんの中に、どこかで「肉体に病気がないから健康」と思っている価値観はありませんか?
 なぜこの様な、肉体以外のところにフォーカスが当てられているのかというと、単にそれらが肉体の健康を脅かす存在であるからです。つまり、肉体的な多くの病気の根源には、少なからず精神による影響が存在するわけです。免疫系一つをとっても、精神による負荷が、免疫細胞の増殖を抑えることが分かっていますから、むしろ肉体的な疾患というものは表面的なものであって、その根源を探ればどこかで精神との繋がりがあるということです。

 

そもそも体とは何か

 興味深いことに、過去の歴史を遡り「からだ」という言語を調べてみたところ、室町時代以前までは「からだ」という言葉はありませんでした。から(殻)に接尾語「だ」が付くことによって出来上がった言葉です(セミの抜け殻など)。現代とは違い、魂を宿していない身体、または生命のこもらない身の外形部分を指しており、「亡骸」という言葉があるように、単なる「物」としての呼び方が強かったのです。「1603年に日本においてイエズス会宣教師が使っていた日本語辞書「日葡辞書」に「からだ」の意味を、死体、むくろ、しかばね、と解説しているが、時には生きた体の意にも用いる(言語由来辞典より)」とあり、この頃には、体と魂を区別していたと考えられます。いずれ、この方向性で頭から手足の先までの全てを、「からだ」と呼ぶ風潮が現代までのあらすじと推測されます。
 この「からだ」と「魂及び精神」を別々の存在としてとらえられるようになったのは、歴史を調べると、近代西洋医学の発展と重なる部分があります。医学というものは、紀元前4500年頃から文明を辿ってみると、大きな変革があったのは古代ギリシャ時代。この頃には、数学のピタゴラス、天文学のメトン、哲学のプラトン、アリストテレスなど、様々な学問の基礎が出来上がって来ました。そのため、全ての人が同じ共通の見解が得られるところに価値観を見出し、医学の分野では解剖学が学問的に発展しました。
 古代ギリシャ文明以前はどうだったのか?というと、神官が外科治療のようなことを行っていたことから、宗教の中に組み込まれていた時代が長く、例えば古代エジプト文明では、ミイラを作る過程で、内臓と脳を取りだす処置(乾燥が遅い部分で腐敗するために別で乾燥させていた)を、文化的儀式のなかで行っていた等、今の外科的の行いとよく似ている部分があります。
 古代ギリシャ時代といえば、医学の神と称される「ヒポクラテス(紀元前460年頃)」が有名です。当時の医療は、医学の守護神「アスクレピオス」の石像がある神殿「アスクレぺイオン」が治療施設となっていて、病気になった人が巡礼者として集まって治療を受けていました(夢の内容を神官に伝えて治療の処方を行っていた)。実のところ、この守護神アスクレピオスの子孫こそがヒポクラテスなのです。つまり、近代西洋医学の発展はここから始まったとされるように、より学問的に医学を形作りました。
 中でも、紀元前400年代に、ヘルフィロス、エラシストラトスの解剖実験は象徴的です。エラシストラトスは「生命精気は肺から心臓へ運ばれ、脳で処理されて霊魂的なものになる。」と述べていました。また、もう一人のヘロフィロスは、生きた人体の解剖から脳の中心部分にある「脈絡叢」を発見します。この部分の生きた生命活動がある血流や動きに興味を持ち、様々な脈の研究を行います。

 

魂と精神の本質とは何か

 私は歴史が苦手で、特に古代ギリシャ時代なんていうのはアレルギー反応が出るくらいに訳がわかりません。それでも上記で紀元前まで遡った理由は何故かというと、医学というものは、この時代から科学的な見解が優位になり、誰しもが理解でき、誰とでも共有が出来るものへとシフトしてきました。一方でその結果、現代でこれだけ科学が発展したものの、いまだに共有できていないものは「精神≒心」です。歴史的に「からだ」という言葉にあるように、昔は肉体と精神と魂というものは、一体として生きた人間の体の中に存在するものだという考えでした。ところが、古代ギリシャ時代から、経験的で曖昧な側面よりも、目に見える共通認識を重要視するようになります。つまり、肉体的な研究=医学として切り離してしまったわけです。これを欠点というには拙速です。個別で専門色を強めることで、現代のようなめざましい医療の発展を成し遂げたわけですから。しかし、切り離す前は、常に経験から蓄積したのもの沢山あったと思われます。特に精神領域における人間の特性。それらを知るためには、当時、肉体と精神を切り離される前に共存していた「宗教」にその痕跡が残っているのではないか?というのが私の仮説です。例えば瞑想。これは昨今、ビジネス界でも多用されるようになった「マインドフルネス」によって、科学的効果が立証されてきました。

 

脳のそれぞれ

 人間の脳は、進化の過程で大きく分けて3つに分類されます。一つは脳の一番外側を覆う、発生学的に一番新しいとされる「大脳新皮質」です。他の哺乳類でも見られますが、人間での発達はめざましく、大脳の約9割を占めています。ここでは言語の発達や、理論的な思考、創造性を可能にした脳です。
 そして大脳新皮質の内側にあるのが大脳辺縁系と呼ばれる脳です。ここは、感情や本能を司る部分で、大脳新皮質が人間よりも発達していない動物にもある部分です。ゆえに、犬や猫が喜んだり怒ったりと、人間と感情的に心が通わせられるのは、この脳があるお陰でもあります。
 そして脳の最深部(一番古い)にある脳が脳幹です。ここでは、生命維持のために、胎児の時から休まずに自動的に働いてくれている場所です。例えば、内臓の働きや血圧調整、呼吸運動や瞬き咀嚼、反射といった、考えなくても生命維持のためにオート機能で活動してくれている場所です。

 

物体ではなく液体が主役

 私が着目しているのは、この大脳辺縁系から脳幹の内部に存在する「脳室」と「脈絡叢」です。脳の内部は体の他の部分とは違って、血管から直接の栄養供給がなく、また代謝物の排出もできません。では、何がこの血管の代わりにこれらの運搬作業を担っているのかというと「脳脊髄液(cerebrospinal fluid)」です。脳脊髄液は無色透明で、主にこの脈絡叢から染み出すことで脳室内に貯留され、脳の外周部分と脊髄を浮かすように満たしているわけです(脈絡叢を切除すると脳室の拡張が見られないという犬の実験)。主な成分は、蛋白、糖、血球で1日に約500ml程度生産されます。脳脊髄液は脈絡叢内部で血管から「血液脳関門(blood-cerebrospinal fluid barrier)」を通過して脳内に滲み出るとされてきましたが、実際には血液と直接接触しない特殊な生成のしかたをします(脈絡叢以外からの生産あり)。
 昨今の研究では、この脈絡叢部分の細胞膜表面にあるACE2(酵素の突起)に、新型コロナウィルスが特異的に感染することが分かってきました。このため、本来は血液脳関門部分のフィルターで通れなかったバリアが新型コロナウィルスで破壊され、毒物(脳にとっての)や異物が脳脊髄液へ混じり込み、大脳辺縁系および脳幹付近に炎症を起こしてしまうため、その結果「もやもや」「だるい」「頭痛」「無関心」「記憶障害」「自律神経障害」「精神疾患」が起こってしまうという現象が報告されています。
 下の図は、脈絡叢(側脳室と第四脳室にある)から滲み出た液体が脳脊髄液として脳内及び脊髄周辺を循環するところを説明したものです。これは、左側の側面から観察したところで、中央部分の断面です。ちょうど赤矢印で示した2ヶ所に脈絡叢は存在します。イギリスの報告ですが、新型コロナウィルスの後遺症で「記憶障害」がある方の脳内に、炎症が起こっているところを画像で観察されています。そして、この炎症部位は脈絡叢のすぐ近くで髄液が直接触れるところです。

 上の図は、脳の内部の循環にフォーカスが当てられているため省略しますが、主に脈絡叢で生産された脳脊髄液の循環は、脊髄全体に及びます(くどいようですが正確には脈絡叢以外からも髄液は生産されています)。脳と脊髄の外周は硬膜という硬い膜で覆われており、この硬膜が脳脊髄液の器となっているため、外部にこの液体が漏れ出ずに一定の量、及び圧力が保たれる仕組みになっています。
 この脳脊髄液の吸収経路は謎ばかりです。実のところ、長きに渡り、脳脊髄液は頭頂部にあるくも膜顆粒(パキオニ小体)と呼ばれるところが排出場所の主役とされてきました(上図⑧)。しかし、昨今では研究が進み、1992年にはWellerらによって、血管周辺排出路が指摘されました。これを足掛かりに、前頭部分の脳脊髄液は脳間質液と共に、嗅神経から鼻粘膜を通り、頸部のリンパ節より排出される経路が見つかっています。また、脳動脈の周辺には「血管周囲腔」と呼ばれる隙間があり、ここから脳脊髄液が排出されている説も有力視されています。
 これまで排出の主役とされていた、くも膜顆粒(パキオニ小体)は、現在では脳内の圧が上昇した時の「圧抜き(ベント)」の役割をしているということが分かってきました。いずれにしても、老化による血管障害以外にも、脳内の排出機能がなんらかの形で阻害されてしまうと、さまざまな脳の機能異常を起こすことになるわけです。とくにアルツハイマー病の一因と有力視される、アミロイドβタンパクの蓄積は、脳の神経細胞を結果的に死滅させてしまうため、脳脊髄液の循環と排出経路の研究には意味があるのです。
 他にも、歯科の分野で歯周病が原因で、体内に細菌(ジンジバリス、ジンジパイン)が入り込むことで、脈絡叢の血液脳関門を脆弱化させ、脳内に慢性炎症を引き起こすことも分かっています。結果、アルツハイマー病の要因になっているとされる、脳内のアミロイドβタンパクが蓄積するリスクが10倍程度上がるという研究結果を九州大学、及び北京理工大学でも発表されています。

脳脊髄液は脳と脊髄を主に循環している

 脳脊髄液の重要性を知る上で、ここでは「脳脊髄液減少症(低脳圧症)」についても触れておきたいと思います。
 脳脊髄液減少症とは、交通事故などでのむち打ちや、外的衝撃、または出産で、脳脊髄液の容器でもある脊髄硬膜に小さな穴が開き、髄液が硬膜外へ漏れ出して減少する症状です。ただし、外傷的な事象がないにも拘わらず起こるケースも耳にしています(つまり正確な機序が分かっていない)。
 この現象については、兼ねてから熱海病院の篠永医師がマスコミ等でも露出されておられました。筆者も2006年の時に、篠永先生の脳脊髄液減少症についての発表を直接聞く機会がありましたが、発見当初は医学的には硬膜に穴が開いて漏れるなど常識的にあり得ないとされ、脳外科の学会でも発表させて貰えなかったと仰っておりました。当時の篠永先生の資料を引っ張り出してみると、脳脊髄液減少症の症状について、以下のように書かれています。

脳脊髄減少症(低脳圧症)の症状

1、痛み : 頭痛、頭重、頸部痛、背部痛、頭痛、座骨神経痛など

 

2、脳神経症状 : めまい、聴力異常、耳鳴り、耳閉感、光過敏、視力低下、視野異常、複視、咽頭違和感、顔面知覚異常、顎関節症、味覚障害、無表情など

 

3、自律神経症状 : 動悸、血圧異常、体温調節障害、胃腸障害など

 

4、高次脳機能障害 : 記銘力低下、思考力低下、集中力低下、うつなど

 

5、その他 : 強度の倦怠、免疫異常、内分泌障害など

 

 当時の記憶では、酷いうつ症状や摂食障害の例をご紹介されていました。硬膜に穴が開いて髄液が漏れ、それが精神疾患と関係性があるなんて、頭のおかしい医者だと同業者にも見られていたと仰っていました。オフレコかも知れませんが、周囲からかなり露骨な圧力が掛かって大変だったとか。が、今や頭痛学会のガイドラインの3徴候に「脳脊髄液圧低下による頭痛」が記載され、重要視されるようになっています。感の良い方はお気づきになられたかも知れませんが、上記の症状を見ると、先に述べた、新型コロナウィルスが脈絡叢に感染し、血液脳関門が壊れ、脳内に汚れが入った状態で起こる「もやもや」「だるい」「頭痛」「無関心」「記憶障害」「自律神経障害」「精神疾患」といった、後遺症の症状に極めて似ている部分があるのです。
 これらのことからも、脳脊髄液と精神の活動状態には大きな関係性がありそうです。つまり、脳脊髄液が常に一定のクリアランスを保ち、常に豊富な循環状態にあれば、逆説的に精神の健全性も同時に保たれることになります。

 

更なる重要性

 一般社会には聞こえてきませんが、実のところ医学界では、近年は脳脊髄液について相当な盛り上がりとなっています。その理由は、これまで中枢神経系にはリンパ系は存在しないとされてきましたが、その代役が見つかったからです。グリア細胞(神経細胞以外の脳細胞で酸素や栄養素を運搬したり修復したりする細胞)の一種であるアストロサイトが縮むことで隙間が出来上がり、その隙間に脳脊髄液や組織間液が入り込んで、リンパ系のように脳内代謝物が排出できるとされる、Glymphatic system(グリアの頭文字とリンパを掛け合わせた言葉)が発表されたのです。そして、この脳内のアストロサイトにだけ存在する膜内粒子は、腎臓でも同様のものが見つかっています。
 他にも、国立研究開発法人理化学研究所脳神経科学研究センター(長すぎるので通称:理研脳科学)の調べで明らかになったことは、概日リズム(サーカディアンリズム)といういわゆる「体内時計」についての新発見です。これまでの通説では、体内時計は視交叉上核という場所が中枢となって刻んでいるとされていましたが、「脈絡叢」の上皮細胞の方が明らかに正確なサイクルを刻んでいるという研究結果です。この脈絡叢は、脳脊髄液の主たる生成部位と考えられている場所です。
 概日リズムは地球の自転周期と太陽との関係性において、人間の生活リズムを合わせるためにあるものですが、脈絡叢の正確なサイクルが乱れたり、脳脊髄液の循環が何かしらの形で妨げられることにより、脳内の浄化率が下がり、初期症状として睡眠障害を発症してしまうわけです。
 また理研の論文にも触れられていましたが、うつや精神疾患、アルツハイマー病の初期症状として睡眠障害を訴える方がとても多く、脳脊髄液、並びに脈絡叢の機能状態と比例している可能性を指摘しています。つまり、ここでも脳脊髄液と精神との関連性が見られるわけです。
 他の動物実験でも、脈絡叢を取ってしまった研究個体と、そうでない個体比較で、インフルエンザワクチンの接種後の抗体の数を比べたものがあります。結果は脈絡叢がない研究個体の保有抗体数が極めて少ない状態で観察されたとあります。免疫力の低下といえば、兼ねてから精神的ストレスで免疫力が低下すると言われています。もしも精神的ストレスが、この脳脊髄液の生産と排出の働きを鈍らせるとしたら、この2つは見え方は違っても、根本は一緒の可能性が考えられるのです。

 

経験的側面

 科学的側面とは一転し、今度は経験的側面からこの脳脊髄液において、精神と働きにフォーカスしているものはないのか?という部分について着目します。経験的側面とは、これまで歴史的、伝統的に積み重ねて行って来たもので、それが科学的に完全な結論を持ち合わせていなくても、経験的に効果や結果を示したりすることです。
 例えば麹菌の選別(麹菌は毒性があるが日本の先人は毒性の無いものを選別した世界で唯一の民族)や、フグの卵巣を塩漬けと糠によって無毒化して食べる知識など、人間は永きに渡り、経験的側面の積み重ねで英知の伝承をしてきました。現代科学が結果的に後追いの形で証明してきたのも事実です。
 また、伝統工芸の世界では、感覚だけで脅威的な精度の作業をこなしてきたり、それが科学で分かった時点から「科学的」と呼ばれる様に、もしかしたら世の中には「未科学」である事の方が沢山存在しているのかも知れません。その一が精神活動でもあります。
 これまで説明してきた脈絡叢、及び脳脊髄液については、実のところ我々の業界(オステオパシーやカイロプラクティック)の分野でも、兼ねてから着目をしてきました。1900年頃には、ウィリアム・ガーナー・サザーランド(1873〜1954年)とその弟子ローリン・ベッカー(1910〜1996年)によって、これまで頭蓋骨は動かないという医学の常識的概念を覆し、頭蓋の縫合(ギザギザの部分)は関節として存在することを提唱しました。この着目点から、脳が一定のリズムで呼吸運動を行なっている事を手指で触知し、この動きそのものが脳脊髄液に流れを作っているという考え方が出来上がりました
 この脳の呼吸を「第一次呼吸」と呼びますが、昔から訓練を積んだ人であれば、頭に軽くタッチをすれば、経験的にまるで脈のようにこの動きは感じられるのです。著者も若い時にはこの動きは感じることが出来ませんでした。しかし、経験を積むことで微弱な動きを感じられるようになり、今では、こんなに大きな動きを感じられなかった時代の自分が不思議でなりません。それどころか、慣れてくると、この第一次呼吸の動きは、頭蓋の次に足先で感じやすいことが分かり、そして全身がこの動きに統率されていることに気が付くのです。
 この動きを我々の業界では「Cranial Rhythmic Impulse」と言い、略しC.R.I.と呼んでいます。動きそのものは、まるで風船の空気が入ったり抜けたりを繰り返す拡張と収縮です。これが、1分間計算で約6〜12サイクルで繰り返されており、その振幅幅はおおよそ0.02〜0.04mm程度。ですから、あえて意識をして触らないと分からない動きでもあります。下の図は、頭からお尻の仙骨までの動きを示した図で、この拡張と収縮のメカニカルな動きを表したものです。

 また、この動きは、肺で行われる呼吸とは全く違う動きとして独立しています。どなたでも感じることは出来ますが、唯一の注意点として、5グラム以下の圧で触れるということです。それ以上の圧力を使用すると、まるでラジオのチューニングでダイヤルを回し過ぎ、周波数が変わってしまう様に、動きを感じる触覚が極端に落ちてしまいます。著者が習った時は、インターネットもあまり普及していない時代で、先輩の先生に教わるしか方法がありませんでした。それでもこの動きは「10年は続けないと感じられない」という暗黙の職人的定説があり、それだけ特別視されてきたのも事実です。しかし、現在では当院へお見えになられている素人の方でも、コツを教えると、殆どの人が感じることのできる「当たり前」の動きとなっています。まるで、重力の存在を解明される前と後の様に、どうしてこんなにはっきりとした動きが今まで分からなかったのかと、不思議に思うくらいです。もしも感じられないとしたら、殆どの場合、自分の手の力が邪魔をしていることと、身近に的確なサポートをしてくれる人の存在がないからでしょう。
 これらの動きは、脳脊髄液が漏れ出さないように、脳と脊髄を包んでいる硬膜によって統率されています。硬膜が付着する部分は、上部では頭蓋骨内部と頚椎の1〜3番、他の背骨の真ん中は宙ぶらりんになって下降し、仙骨部分に付着し、最後は尾骨に終糸という糸状の形で強く固定されています。よって、これらは連動的に機能状態を共有しており、例えば仙骨に骨格的なズレが生じた場合、単に仙骨だけのズレではなく、硬膜の観点から言っても頭蓋、1〜3番の頚椎、尾骨の部分も正常な位置関係にないことを表します。言い換えれば、この硬膜の緊張及び歪みが、全身の骨格の主要原因であるともいえるのです。
 特に尾骨に関しては、硬膜そのものの緊張度合を手軽に感じることができる場所です。昨今とあるネット記事で、芸能関係のかたが、尻もちを着いて「仙骨骨折」をされて、その後うつ病になってしまったというケースを拝見しました。ここまでの内容をお読みの方は、仙骨が硬膜の運動とダイレクトにリンクしていることをご理解されているわけですから、この原理はお分かりになると思いますが、一般的医療ではこの硬膜や脳脊髄液の循環については全くといって良いほどノーマークです。
 人間の二足歩行によって退化(もしくは進化)した尾骨ですが、尻尾のある動物を見れば、体のバランスを取るためには重要なものであり、また、感情の表現は尻尾を使って行われます。つまり、動物の尻尾は、脳の機能を直接的に反映させている場所でもあるわけです。

 

 上の図は、1分間に6〜12回のサイクルで、硬膜が動くイメージ図です。この様に、脳や脊髄は、硬膜の運動を介して脳脊髄液を循環させていると考えられていました。しかし、昨今では、脳脊髄液そのものはあまり移動をしていない(積極的な循環移動はない)という研究論文もあります。この動きそのものが、すなわち脳脊髄液の循環にどこまで関与しているかは未だに科学的な側面では分かりきれていません。ただし、経験則でこの硬膜の動きをスムーズにすることで、脳脊髄液減少症や、脈絡叢を切除した研究個体で指摘されているのと同じような症状が解消されてゆくことがあります。科学的側面と経験的側面の溝に正体が雲隠れした状態にあるのです。
 また、この動き(第一呼吸)は、トラウマによって最も強く制限を受けます。それを語る上で、この分野に一石を投じたのが、ジョン・E・アプレジャー(ミシガン州立大学オステオパシー医科大学生体力学科教授)です。彼は、これまで伝統的な医学界でも理解されることがなかった、頭蓋と仙骨系と髄液循環メカニズムとその治療方法を、明確に分かりやすくプロトコル化させて普及させました。特に第一次呼吸による硬膜の動きの制限について、トラウマ(心的外傷)が強い影響を与えている部分に着目し、独自の手法を確立しました。特にソマト・エモーショナル・リリース(体性感情解放=SER)という、体に残るエネルギーを体性によって解放する手法を公開。例えば、車に轢かれて体を強くぶつけた場合、物体として侵入したエネルギーが肉体内に残存し、そこに出口が与えなければ永続的にこのエネルギーが滞り、様々な身的症状をもたらすという考え方です。
 これらは全て、硬膜の動きの制限として現れ、第一次呼吸の動きを妨げます。この第一次呼吸の制限の解放原理はとてもシンプルで、これの出口を見つけてあげること。トラウマは精神のみならず、肉体にも記憶されているために、体が行きやすい方向へついて行く事にサポートを加えるだけです。それらを辛抱強く続けると、体は勝手にトラウマとなった事象の体勢に導くのです。
 そして最も興味深い現象が、その体勢になった瞬間に、第一次呼吸の動きが完全に停止するということ。よって、トラウマという精神性の記憶が、脳の中枢機能までも影響を与えているという事が言えるわけです。
 ジョン・E・アプレジャーは、この手法のことを「身体的情緒的想起」として、トラウマを受けた当時の体勢へフィードバックさせることで解決していました。突然トラウマの事象を思い出し、治療中に実際に泣いたり怒ったりと、様々な感情が表層化します。やがて、感情的な想起が解消させると、第一次呼吸の動きの制限は無くなり、より自由に大きく動くことが触知できます。つまり、体内に残った物理的エネルギーが感情と共に放出されて解消してゆくわけです。このやり方には二分する意見があります(対峙せずにもトラウマ解消は可能である点と対峙することで再トラウマ化されることがある)が、精神と肉体の繋がりを実証した、貴重な発案者であることには変わりはありません。
 精神的トラウマと肉体との関連性については、ジョン・E・アプレジャーとは違う方向性から掘り下げていた人がいます。精神科医であり精神分析家のヴィルヘルム・ライヒ(1897〜1957年)です。彼は、精神分析の祖でもあるジークムント・フロイト(1856〜1939年)から直接指導を受け、フロイトの思想に傾倒していました。ライヒの数ある研究の中で着目すべき点は2つあります。1つは「オルゴン理論」というもので、自然界には充満するエネルギーがあり、それが性エネルギーと生命エネルギーとして活用されているという理論です。オルゴンとはオルガズム(性的絶頂)の言葉から名付けたもので、これらのエネルギーが病気の治癒力と比例しているという結論に至ります。いわゆる中医学で言われる「気」と呼ばれるものと同一視されています。
 そして2つ目は、精神と肉体との関連性についての研究です。「筋肉は感情の鎧である」という彼の身体分析はとても興味深く、その後ボディーワークへと発展して行きます。

 

繋がる点と線

 過去を調べれば、科学的な根拠が学術的に満たされていない基準にはあるものの、身体と精神の繋がりについて、それぞれ説明が付くものが沢山あります。ジョン・E・アプレジャーの研究でも、第一次呼吸がトラウマのフィードバックと同時に完全停止に至ることを指摘しています。また、人為的に第一次呼吸を停止状態に持ち込んでも、全身の筋肉の緊張の弛緩がみられます。
 脈絡叢の発見者でもある古代ギリシャのヘルフィロスは、「脈の研究を行なった」とあります。一般的に現代では「脈」という言葉は、血管を流れる血液の脈を意味しますが、実はその部分は現代から見た勝手な科学の主観であり、この律動的な第一次呼吸の運動にも気づいていたのではないか?と著者は想像しています。
 その根拠は「生きた人間の解剖を行なっていた」という部分です。死んだ肉体では第一次呼吸の動きは消失してしまうため、現代の倫理を持った解剖では、それらを観察することはできません。生きた人の解剖を行なってきたからこそ、実際に目で見て、そして感じ取れていたのだろうというのが私の推測です。